またくだらない話で流すけど

特にノルマはありませんが、近日中の雑言と、この音声送信世界との付き合いの報告までに。

 

昨日は、一昨日なくしたドライバーが元通りペン立て等にさしてあって、半年前になくしたサッシの螺子が一個だけ床に落ちていました。別に誰かが置いた形跡は無いのだけどなぁ・・・。

 

(誰かに確認はしていない。しょっちゅうだから。不自然さからして、物質転送を疑いたくはなる。)

 

近日は、また、子供の頃の話を駆け巡っていました。誰かの冗談みたいな話、中国人に香水文化を許すのか?と言う思考実験。たぶん、地球資源が枯渇するオーバーフローする的な結論ありきの、偏見に満ちていると言えば、そうと言えなくも無い、非難めいた話だろうけど、香水文化と肛門性交だのが表裏一体の可能性があると疑って子供ながらに考えていた人がいたのでしょう(今の中国なら問題なく香水くらい一般の日本人より裕福な人がたくさんいるでしょう。)香水好きには失礼な話だろうけど。私が将来肛門性交者だと思っていた人がいたということです。

 

無宗教無神論者の欲望は無制限だと思われがちなので、もしかすると、この東京も、家族の無いものと同じく、無宗教の者も、仕事が回ってくる優先順序が低いかもなぁ。

そうであれば、社会主義国の身分固定にも似た調節機構がこの東京にもあるのかとよっぽど考えたくなります(笑)。

 

ノーフードノーライフ的に、民主主義と言うか現在の国際協調関係を捨てる理由までは無いよねぇ。

 

宗教は無いが、信仰の祖形みたいなものはあってだな。それは縄文教かな。いや、冗談だけど。

 

と言うのは、アメリカ人の派閥の場合、常に入植者ゲームを繰り返す傾向があって、卑近な例では、猿にオナニー教えたら一生やっていた的な笑いと言うのか、この資源流すとこいつらはどうなるのかな的な視線が好きな奴と言うものが共存している自覚が要るかもね。

 

だから、それで無文字。そこから立て直す的な(笑)。そんなにもう真似はしない的な強がり。

 

精神病を一度やると、とにかく自分を責めますが、人間は独りで存在していません。

 

私も深く考えると、小学生の頃、危機い陥ると今まで聴いた中で一番酷い雑言が吹き出る、と周りで言う人がいて、自分が悪さをして後ろめたい気分で特に神経が張り詰めている時に、内容は伴わないが、ケツだのヤツメウナギだの猛烈な勢いで罵っている人を見た。その後、相対比をなすかのように”殺す”程度の雑言が最大の思春期などを送って青年期に到達した。つまり、ケツと言う罵りの言葉は遂に聴かなかったと言うこと。そして海外旅行中に発狂した時、やはり思い出してケツケツ周囲を罵っていた。当時よりも声量が倍加していたかも知れない。

 

また、幸か不幸か家庭での抑圧的ブロッキングの繰り返しで愛情に亀裂が入る風な成長期などを経た気がする。そこへ来て、青年期の学歴や就職差別的なことがなんとなくあって、両義的な思いやりの無い事件の連続するニュース番組の現在がある。こう言う戦争前のキナ臭い空気かと勘違いするような時には、周囲の野次などの相反する渦にも抗って、今まで見た一番酷い人物(あるいは凄い人物)の言葉や観念、それを真似するか、あるいは超えようとする動機が高まる(野次の渦に一石を投じるべく)。その為に、一度、意識の中で背景化した人物群の世界の呼び戻しが、自分の心の中で起こってから、それをナビゲータに、他分野への挑戦などが起こっている感じです。幼少期から今に至るまでの。

 

こう言う状況は、自分の興味ばかりが自分の人格を創っているのではない、と言う明らかな手応えです。その一端。

 

 

つまり、あきらかに私の顛末は私だけの性でもないのです。また、この過去の循環も、召還するのは自分だけのタイミングじゃない。あきらかに。

 

そして、なぜか独りで物を考えても共時性的に話は何かと常にリンクする。これも不思議。近日、認識の扉に穴が開いていてスリット実験よろしく記憶量子が一意に定まらず流れ込んで来る、と書いてそのすぐ後、ベルクソンの本を読んでいたら、ドンぴしゃりな感じの内容でまたはまっています。

 

ベルクソン的に認識の世界はそんな感じらしく書いてあるとも言える。

 

こう言うのは、何度も経験しているけど、ブレインジャックじゃないかと言うくらい、ピッタリ来るんだよね。漢字奴隷とか音楽民族支配とかイジケテ罵っていたら、ベルクソンの『純粋持続』に出会う、とか。

 

まぁ、前から言っている話だけど。

 

もう、こう言う全体の中での挙動を考察できる精神医学が必要で、現状はもう治療は要りません。これをもっと上手く説明したい。

 

後は、物質転送の追及は、私にとって片道切符です。幻聴と言うのか音声送信では、白人に相手にされなくなってもいいの?とか本日もかすかに気配程度あったような気がする。しかし、この技術が誰のものか正確に知ったら、また元の世界に戻れる保証も無いので、誰に嫌われるとか、そう言う問題は、もう視野に無いのです。

 

私の人生は常に片道切符ですよ。

 

 

それで、また良い文章を今度こそ書くように資料とかを読むのでまた今度。

 

 

 

オレンジ修正。

言語は言語自体の自律的な空間を持つ。

意識の中で背景化した人物群の世界の呼び戻しの際に(細部のリアリティーまでは飛んでしまっているわけだから)、この言語の自律的な空間を利用して当時の価値観の再現を目的として思考実験を繰り返すことになる。こう言う言霊的な、無人島独りぼっちで全脳検索的な状況が、西洋哲学の個別に追及する内容にそっくりだ。つまり、縄文人、イタコ風に言えば、憑依なのですよ。演劇的な、あるいはダンスKJ法的な、クオリアで取る(実際は語呂合わせ程度?)詩とか?統合失調症の授かり物としては、まさにこう言うのを実体験で見たと言うことしか無いのですね。頭が壊れている最中に。

 

007のスパイ映画でも見れば、誰しも秘密基地を持ちたいと思うでしょう。それはともすると、マイケル・ジャクソンのクローゼットの奥の秘密の小部屋でしょうね。そうなるよ。新興成金みたいな人でトイレット・トレーニングのすぐ後か同じ時期くらいのジェンダー教育が希薄な人は。我々の社会は、個人主義を標榜しながらも、一番酷い我がまま坊主を個人心理学の枠に押し込めて苦しめるような拷問をかけるのではないかと疑いたくなるものだ。どこの精神医学にも、全体の中での挙動を考慮した量子力学的な世界観に貫かれた医学は無いと言ってもいいくらいだ。まったくもってお上から見ればお前の思考などエントロピーの増大と数えて消すだけの話でしか無いと言わんばかりだ。

 

俺のこの雑言が、いくらかでも精神医療に苦しめられた人の幸いになれば良いとは常に思っているけどね。2017/11/13 23:??