分からない、はやめようね!殺す、ならとっと殺してみろ!(忘却)

最近は完全な独りではない。

 

しかし、胃痛(ピロリ菌?)やうつ状態を越えて、長い間、一人でいると分かることがある。

 

代表例は、例の『無人島独りぼっちで全脳活性、もしくは全脳検索』。

 

後は、野生動物や外敵と戦うために、『恐怖を一時的に忘却する機能』。

 

きっとこれは本能です。

 

自分より相手が強そうに見えても戦いを挑まざるを得ない時など、はなから失敗のことなど頭に無い。それこそ、後ろから戦車が来ていたら、眼の前が崖でも一か八か飛ぶしか無い的なこと(砲身の近くにいるだけで突風で腕から先が無くなったりするらしいbyディスカバリーチャンネル)。

 

きっとこの機能は、フロイトの言う『抑圧』の機能のルーツになると感じます。

 

社会集団の中で権力などの遠大な敵に対して発動されると、揺さぶられ続けて精神病になる様な気がする。たぶん。忘却は外敵を認識できない状態を意味するので。

 

近年、独りになって野次などに猛り狂っていたら、色々思い出すことがあって、ますます、面白い。これはそう言う主に上記2つの心理的機能との相克で、断片化したリビドーあるいは断片化した過去が、意識の前庭に、度々、再浮上する為でしょう。

 

そう言う循環の民主主義が思念として飛ぶばかりでなく、自動書記で現に書いている最中に釣れるのだ。だから文章がシャーマニズム的だ。あんまり言いたくないけど『道化師の蝶』みたいなものです。

 

そう言う意味では、過去が蘇ってくると、何か地元のヤーコーもうざいね。小学生1年生の頃、徒競走が一番だったら、親にタバコ吸わせる、と周囲で囁く山口風坊主がいた。本当に父親が部屋で居直って吸い始めて、2年生からあっという間に3、4位くらいになり、3年生では遂にビリから数えたほうが早くなった。

 

こう言うのは偶然かも知れないが、度々、あるんだよね。

 

親戚が小説家だったので、こいつに知恵をつけるな的な制限があったと感じる。エッセイですぐ書かれたら嫌だからだろう。また、絵描きの方が、物書きのような漢字奴隷的なラッキーボーイよりも出来ることは上だ。そこへ来て、それが女だったりすると、もう、絵描きのコンテンツの方がその存在を圧迫して潰してしまうこともあるので、遂に、親戚が死ぬまで、私は自由に物を考えられなかったように思う。

 

なんて言うか、これはまた同じ話をして恐縮なのだけど、岸田秀の言う、近代以降の日本の偉人は、皆、海外から日本を眺めた視線に立っている、と言う奴だと思う。一回、覚醒しないと駄目、みたいなこと。

 

たぶん、月本洋の著書にある様なことが理由で、科学の共通言語である英語は、主語に厳密で、なおかつ、演劇的で、ゼスチャーを駆使して、オブジェクト指向プログラミング言語みたいになり易いからだろう。

 

こう言う傾向を理解した人が、科学技術を推進していて、社会内部の情念の母体に生息する漢字奴隷には、遂に科学的思考が教えてもらわないと分からない、見たいな状態で生涯を終える傾向があるか、そもそも、右脳優位になり易い文化だからだと考えている。昔は本当にそう言う傾向があったかして、そう言うのが分かる人は、皆、宗教とかカルト教団とかに入ったのだろう。そう言う限定エリアにしか本物の外国文化は無かったのだと思う。

 

また、発話機能が、精神科の神経遮断薬で制限されてしまうと、上手く話せないので、何度でも繰り返し述べたりするようになる。発声手順の再確認とか脳内バッチ・スクリプトデバッグが必要なレベルにまで突き落とされるのだ。そして、終いには呟き出す。ここから変化した。その内容を耳から再代入する様な小田急線広告の『視差確認歓呼』みたいになって来ると、言語が物理空間で音波として存在するので、それはオブジェクト的だ。そして演劇的。

 

こ言う涙の出る努力の結果が、外国旅行の時などにキヨスクで道を尋ねたり、バスの切符を買ったりする時の思考を、本来は忘却気味だったはずなのに、再活性化させた。いや、ほぼ、25年間、常に異邦人だった。私の脳の使い方は、あの時と、美術系の学校で準科学的な思考に慣れ親しんだ頃のままです。多少、社会人大学で、政治とか物理の話も聴けた。後、イギリスの哲学。これが大きかった。

 

これで私は出来上がっていて、ここに小説家の思考は一切と言っていいくらいないものだ。ただ、遺言として描いて欲しかったなぁと言われた程度。

 

それくらい、あんまり、話をしたことが無いのです。

 

いまだに、分からない、と言う人はいますが、本当に何を言っているか分かりません。

 

私に日本文化の話を強要されたり尋ねたりされてもよくわかんねぇよ!!!

 

たいして知らない!!!

 

私は、絵の話が多少分かるだけで、別にその思想は、

 

何で日本画なんてあるのかな?

 

みたいなアメリカ人的な影響が強い。いや、韓国の国宝の屏風絵だって凄いからね。

 

別に全部、絵画科にしてしまって、その中の日本画技法コース、みたいにしてもいいんじゃないの?程度だから(笑)。

 

美大の人の考えていることなんて知らないし。

 

もう、文化なんてあんまり興味ねぇよ。

 

 

 ※徒競走が一番てのは言い過ぎで、2番だったかも知れない。しかし、中学生になって分かったが、縄文人風の短足のでっちりが嫌われるのだよね。それは在日の走り方、みたいになっている(笑)。ケツが突き出て走るのは、白人や黒人の血が入った足が長い人の専売特許みたいになっているから、山口タイプが嫌っていると私は考えています。いや、授業風景のビデオなど皆で見ていると、ロシア人みたいなのが入ったのに笑われるだけなんだが。筋トレしても、チンピラが脅してくるし、知的労働もカルトのエリートに圧迫されるので、結局、けんか腰にならないと筋トレも出来ないし、絵も描けない。なんか卑怯なんだよね。長年生きてると分かってくるから。16:43