キリスト教徒の正体は悪魔崇拝教

かつてイタリアに行った時、私は発狂したが、なだめようとしながらも、余計に私を煽った日本人の留学生は、こう言っていたのを思い出します(以下)。

 

悪魔は、本当はかわいい。

 

本当は悪魔とは異教徒の有色人種のことだ、とも。

 

今にして考えると、結局、終わることの無かった弁証法いじめ。ゴルゴダ丘いじめ。

とでも例えるべき”反対いびり”によって発狂した異民族の生贄のことでしょう。

 

統合失調症の正体は、キリスト教という生贄教(※)における植民地の犠牲者のことではないかと、今の私は考えたくなることがあります。

 

本当にマフィアの宗教の実態とは、そう言うものだった時代があっても不思議じゃありません。かつてキリスト教徒は、神を頂点とした暴力団のように世界中に布教したとも言いたげな凡人の神もいる。いや、名誉教授もいる。

 

私はかつてそこの部分に惹かれたので読んでいたが、読み物自体は日本人を馬鹿にしているとしか思えない。釣りだったのだろうかね?

 

切れると人種差別や侮蔑の表情を異民族に向けることに何ら抵抗感の無い国民性。酷かったら懲らしめて良い的な突出的な都合の良い合理化。歌を歌うことが好きな点など、あらゆる点で、万年戦時下、と言うのが特徴としか思えない構造的腐敗だと思いたくなる。

 

これでは、盗人の腕は切り落とすと言うイスラム教とそうそう変わらない。

 

肛門ポルノを撒き散らす奴らは、一方で、肛門性交者などをこのような生贄に未だにするのです。朝鮮系カルトと言われるものたちと組んででも。自国に帰ってきても。

 

つまり、人格を卑しめてからポルノを撒いて人格が歪んだ素地に憎悪でハード・ポルノの類が砂地に水が吸収されるのを見るように影響を与えるのを見るが愉快なのだろう。つまり異教徒が肛門性交者になる機会を待っているのだろう。

 

かつてカトリックの修道女と社会学の講師が、時折、エロスとタナトス、と言う言葉を講義で使っていた。その組み合わせでハンチングさせるとジンテーゼは、肛門性交じゃないかとすら思う。それが無自覚だから、単に言葉の響きに酔って使っていないかとさえ思いたくなる程だ。その組み合わせは本当に気持ち悪い。

 

書くのは二回目ですが、将棋の駒で言えば、王手がかかって自分の陣営の中に敵の駒が進入した状態。これが本来の駐留軍の意味する所だと思いますけどね。仲間だ。同盟国だと言われると、認知的不協和が起きて見抜けなくなるのかも知れないとさえ思う。

 

それくらい、カルト教団キリスト教徒が危険なのが東京だ。それを外国軍がバックアップしているとしか思えないくらい強気だ。

 

私は北朝鮮を支持してるのじゃないですよ。憲法違反のカルトや外国人がいるよ、と言っているだけです。

 

 ※かつて明治学院大学白金キャンパスに来たカトリック修道女の講師の説明では、キリスト教は、生贄教のユダヤ教とは違って、愛が大事、と説いて生贄を廃止した革新的な古代宗教と言う触れ込みですが、私は生贄教に分類したい、と言う意味です。4:36