A cofee ,please!

外国人にフリースタイルで書道を書いてもらったらどうなるか?

 

と言う思考実験をすると、たぶん書き順が習得されていないので、読み解きにくい字を書いてしまうだろうか。

 

では、崩し字とは何か?

 

おそらく、視認性や美観が書き順の規則を上回っている状態の筆法だろう。

 

崩し字の特徴は、流れるような曲線、即興性、偶発性、等にある様な気がするのだけど、もしや、ギター、サックスと言った楽器のアドリブやインプロビゼーションにでも例えるべくした自由奔放な性質をそこに投影するのなら、それこそグルーブ感の様に機能する、ある種の過激なリテラリズムだとかを感じ取っても良いのだろうか?

 

このとき、視認性や美観をディフォルメに、書き順を写実デッサンに例えて見ると、段階的変化だとかデッサンのセオリーにおける基礎的な解釈、調子の推移による動感(動勢)、また、ディフォルメの根幹である、構築性、などと言う静止画において単なる図形を分析したような話は、何だか物足りないものだ。

 

なんて言うか、例えば動感においては(空間性よりも本当に動くものを追いかけ)、時にディフォルメなど、アニメのラフスケッチを参考にするくらい自由でなければならないだろう。

 

静止画なんていくらでも黄金分割線の様な複雑な物差しを当てて面白がることは出来るでしょう。しかし、むしろ本当は書いている途中での思考が問題だ。これは生き物だから。スピード勝負でもあり、そんなに数理的な思考を働かせてもいられない。やっぱりハートも大切に。

 

それで、そう言う私たちは、よく、コーヒーの飲みすぎ、と言う事態を起こしていないだろうかね。

 

普通、コーヒーを飲みすぎて頭がガンガンしたり、なんだか眠れなくなって来たら、5日以上、まぁ2週間くらいかけて、カフェインを抜くようコーヒー断ちした方がいいね。

 

例えば話は変わるのだけど、史実によれば、セザンヌを見て感銘を受けたピカソキュビズムを始めた。そしてキュビズム以降、次第に抽象絵画が始まったのだ。

 

そのセザンヌは、自然は円錐形と球体と円筒形に還元できると言ったのだっけ?

 

それで、ピカソは、それを大袈裟にして実験的なキュビズムの画面を作ったのだろうけど、その立体に還元した面白さを最大限に発揮させる意味で、連続した表面の絵を創始した。

 

そう言うルールを課してみることで面白がったんだろう。こう言うロジックにおける愚直さの意外性、みたいなものも、神経世界の再取り込みによる能力の増幅、拡張された現実世界なのではないだろうか?

 

つまり、ある種のコーヒーの飲みすぎだ。

 

他の例で言うなら、シュールリアリズムが現実世界に無意識のような夢の世界を統合しようとしたことは、超現実世界がこの社会に実現されると言うよりも、今日では、公共空間で乱交する違法ポルノ程度の価値しか無いだろうことは、薄々みんな分かっている。

 

(シュールリアリズムこそが価値があるなんて言う自称精神分析家の言うことなど聞いていたら、これは画家とはいえないね。)

 

こう言う時は、思い切ってコーヒー断ちしかない!!!

 

別に神経遮断薬が私たちの脳を直接に治してくれるとも思えない。

 

回復プロセスとして、神経の作動をセーヴした状態を薬で作っているだけだ。

 

自浄能力や自律的な平衡状態を保つ生体本来の機能が、麻薬的な現代文明の面白さ等にかまけて吹き飛んでしまったのだろうから、頑張ってコーヒー断ちして、周回遅れになっても、休養してから出直ししろと言うことじゃないかな?

 

 

そう言う意味では、いつまでも神経遮断薬なんて飲むものじゃないよ君、と高らかに笑ってやりたいものだね。

 

そろそろコーヒーだぜ!!!

 

 

 ※オレンジで補筆あり。22:35