サラダバー通信

不思議時空を起点に世界がバイモード化し、やがて終局に向かうのが統合失調症だったのだろうか?

 

この現在は、そのバイモード世界ですでに言葉の閃光魚雷(※)によって刷り込まれ、今しがた時限発火するべく仕組まれたビッグブラザーの差金に過ぎないのか?

 

そう言う圧倒的絶望感を伴った立ち眩みのする中で、内的自己にポールシフトを起した途端、ドミノ倒しの様に、外的自己に近いメモリーから総崩れ的に社会性の脱ぎ捨て、総崩れ的な自己放棄が起こり始める。

 

自我中心の求心性が損なわれ、壊れたゼンマイが一瞬で巻き戻るかのように言葉のサラダを噴出する。

 

かねてよりの音声送信に対抗して、フィードフォワードで近傍群の類する観念を投げ返すのにあまりに慣れすぎた為だ。そして解決できない苦痛に耐えかねて。

 

ばらばらクオリア→ばらばらゼスチャー→ストーリー(まとまる保証なし)的にサラダ通信の活況。

 

 

そしてこの内的自己と外的自己の分光は極度に達すると、遂には神経世界の偏向が起き始める。神経世界まで捻じれた分光が進むのだ。

 

(それについては、前回お話したので、省略。)

 

ところで話は変わるが、平和憲法は、最大多数の幸福論だと読み替えると、全体主義的理念に近しくなる。

 

そこにカルト教団全体主義的空気と工場労働の社員教育的な全体主義が合致するとどうなるか?

 

資本主義の原理に基いて投資家が利潤追求のすがら、どんどん民主主義縮小の事態が逆説的に起こり得るだろう。

 

なぜなら、カルト教団の職業の独占は、就職差別、進学差別の正当化につながりかねないので、教育ノウハウの独占と、競争不成立が生じてくるだろうからだ。

 

一般に、西欧社会は階層社会と聞く。貧富の差も激しいらしい。しかし、その植民地ともなれば実は全体主義的傾向が強いのではないか?わがままな中間階層もしくはその手合いともなれば、誘導が容易いだろうから。

 

西欧では、まずキリスト教の宗教全体主義に対して、個人主義という対抗概念が発明された経緯があるのだから、宗主国にあまり反旗を翻さぬよう個人の自由度を縮小する方向で植民地的状況の国家の幸福を追求すれば、経済発展が遅れている場合、どこか全体主義的にならざるを得ない可能性はあるだろう。

 

我々はアメリカ人に赤かの様に言われることがあるが、本当はそう言うことではないだろうと思う。弱小な個人すらをも疎ましければ、”ばらばら”にする破壊活動を起してでも、社会から排斥するものがいるのではないかと感じている。

 

集団ストーカしかり。

 

芸術家も、現代においては、家電量販店に潰されていく街の電気屋のようなものだ。

 

カルト教団が、吉本芸人のように、若者の代表のような洗いざらしジーンズを履いて、脚本家など伴って、考えられる限りあらゆる種類の芸を瞬時にリサーチして市場に投入してくるのなら、個人の腹芸や話術など、アホそのものにしか見えない。

 

工場で生産されたチューヴチューブ絵の具を更に2次的、3次的に加工して絵を生産していては、どこで利益が上がるのか?例え売れても、ほとんどスズメの涙だ(笑)。

 

だから、私は、版画も真面目にやらなかったので、ネットしかなかったのだけど、まぁ、失敗したね(笑)。

 

いや、そんなことじゃない。

 

もし、そのカルト教団宗主国や傀儡勢力そのものだと言うのなら、早く説明して欲しかったものだなぁ。

 

(最初に地雷が仕掛けられていたのなら、最初から壊すつもりだったってことかな?)

 

まぁ、その最初に述べたバイモードの一端と言うのが、和魂洋才の両義性にも対応していて、西欧でいびられたら、必然的に和魂に回帰して内向したりすると明らかなら、なおのことね。

 

国家的犯罪による抑止とかありかよ的な(真顔)。

 

 

 

 ※例の音声言語だけで流通していた”潜航魚雷”を実在の”閃光魚雷”に変えてみました。