性機能と雌雄の差異?

粒子としての個人は、幼少期のエネルギー状態で不思議時空イベント発生によって、分光するとエンタングルメントを起こすほどの高振幅性を得るのだろうか?

 

すなわち内的自己と外的自己への分裂である(笑)。

 

内的自己は、おそらく現実世界と常に0.5秒以上の遅れがあるブドウ糖を通貨単位とする平行世界だ。

 

(皮の表としての)外的自己は、公共圏のタイムテーブルに乗っていて、一体不可分な事象、あるいは同時存在としての世界に関っている。複雑怪奇であり、境界が曖昧な自然の相貌である。

 

身体内部に侵入した知覚信号、有機的連結の準分解構造としての身体感覚は、その相似信号が自己内部に投影されているのだろうか?しかし、私達は、炭素体として、ある定められた電荷量の範囲に存在し、その人生は酸化との戦いなので、存在するだけでエネルギーを消費するものだ。

 

一体、ブドウ糖消費から計算される電荷量とマイクロチューブルにおける電荷の増幅率の比は?

 

あるいは、ブドウ糖消費量とドーパミン放出量の比。

 

そう言う類のものをある程度は医師に進言してもらわなければ、単純に陽性症状といわれても、もはや納得できない。ドーパミン過剰説などなおさら。

 

そして、炭素体ベルトに存在する我々は身体内部がすでに自然界と同時存在であるばかりか地球が一個の生命体とさえ言われるのだから、生物は、外界の信号が伝わって脳と言う中央電算機で処理されていると言った類のものかどうかさえ私には分からない。

 

プラズマ推進船の中にいる私達は、一蓮托生でもあり、中心があるようでないのかも知れない。

 

話は変わるが、若い頃を思い返すと、例えば、3ヶ月から6ヶ月に一度、性行為をする程度なら、読書量は果果しい。

 

しかし、1ヵ月半から1週間、いや2日に1度以上、ともなって来ると、読書が難しくなって来る。脳が疲労しやすく新聞の流し読みしかしなくなったような若い頃の記憶がある。

 

夢見は、そうした回数を示す曲線の後を追って遅れで増加する。減った時と、増えた時、その両方で、副交感神経優位のセロトニンモードに移行する時間が訪れやすくなり、そう言う時に夢見が起こり易い。あるいは乱れた生体波の補正や隠されたコードの復調信号としての何かイメージすら伴わない悟りの状態。

 

こう言うものは孤独に対するギフトなので、なんとなくそのまま楽しむことにしている。この文章の草稿も本日の夕暮れ時、1時間足らずの夢見をノートにつけていたものです。別に性快楽とはあまり関係ないが。

 

地球の一生命として、太陽磁気とかシューマン定常波と共に、生体のバイオリズムから、性についてなども算出したいと考え始めた。一個の物として死んでいく宿命として、定められた運動を知るために。

 

若い頃、私は性に対して罪悪感があって、事後の賢者モードと言うものを必ず経験した覚えが確かにあります。現在の私は、それがまったくありません。何年間も野次に猛りくるって暴れていたら、そう言う感性がすべて吹き飛びました。現在は、平穏で、むしろ汚れの無い状態だ。何かやっと成長したというか、本来の野性に返った感覚だ。いや、ゲイになったのだろうか?

 

性快楽の追求は愚かだが、それ自体に罪はないと思う。性快楽に動機付けても人は自分の中身を晒したりあまりしないと思う。大脳はそうしたものとセパレートして独立に嘘をつけるので、そうしたものの総体が文化である以上、性快楽は何か社会人にとって退行を意味しているだけのことだ。そう言うものを暴露させるのは、集団ストーカの圧力と、精神科の神経遮断薬による神経の鈍磨が原因でした。つまり疲労によるバウンダリー破壊だった。これだけは未だに何だか悔しい。一般人としての人生を放棄することになったので。

 

こうした結果を招いたものの性への興味自体は、生物学的なものにもやがて影響する生物体のリプログラミング機能なので、意外に頑健だったと感じる。

 

 もちろん、こんな話をするのは、周囲のヤクザなどが、中坊時などオナ回数を推定していびって来ていたような過去を思い返せばこそです。ちゃんと知識として説明されたり、父親になる自覚があれば、もう少し結果が違ったかな、と思います。

 

 いや、現在でもあるからですよ。ポルノ動画視聴と野次の相関性。

 

 

 ※リビドーがまるでブドウ糖かのような断定は、もちろん、冗談です。”おそらく”、なのですよ。”おそらく”、がかかっているつもり。これは昔の周囲の冗談も影響しています。たぶん。その辺りから着想したとしか思えない、的な推論の一つ。もちろん、明治学院大学じゃありません。中学生の頃?とかです(笑)。2017/07/21