100均ショップ探訪と野次の日々

歴史時代、どこからかさらって来た子供を育てる時に、お母さんは星の世界にいるんだよ、とか言いさとし、母乳も足りなくて、家畜の乳で育てていれば、身体の適応や遺伝子の発現が多少は変わって、今までと違うニュータイプでも誕生しなかっただろうか?

 

何世代かこれを繰り返すうちに、最初から天上には神が住むという信仰形態になり、家畜の乳を飲む食生活になるのは時間の問題だっただろうか?

 

どうも人類は、家畜を育ててから、常時、そうしたものを飲める身体を手に入れ始めたようだけど。

 

ところで、私は興味の無いものはまったく覚えない所があるけれど、これも食事傾向に起因しないか、疑いたくなって来た。だってドクター中松はテレビで何日前の何の食事が自分の脳にいいとか言っていたしなぁ。

 

思い返すと私は、子供の頃、月夜や星空に、神秘を感じたり、霊的世界を夢見たりしたけれど、昼日中の天上の雲のさらにその上に、神が住んでいる、と言う観念は小学生にもなってからでしたね。

 

それまでは、神と言うのはなんとなく曖昧に日本の神しか知らず、特にどこに居るとかじゃなく、どこにでも居てもおかしくない的な感じで、まさか空の雲の上にぷかぷか人が浮いていたり、同じくその雲の陰に神殿が隠れて居たりとか、そんな妄想はまったく抱いたことがなかった。

 

私の西洋の神のイメージは、トンデラハウスと言うアニメを見て以来です。後は、古典絵画の図録を当時にだったか見て。それまでは、そんなに雲の上に誰か居るだとか、馬鹿げた、まるでサイダーの湖が出てくる絵本みたいに甘い話、あるわけ無いじゃん、と思っていたと言うか、馬鹿馬鹿し過ぎて考えたことも無かったね。5歳の子供でも、それは無いだろうと思っていた。

 

こんなにテレビでもやるのだから、そう言うことを考えてもいいのだろうか?みたいに徐々に許して行った感じだね。今考えると、それが負け犬の逃げだった(笑)。

 

覚えているのは、5歳の時だったら、子供が野原を翔っている内に空を飛ぶ絵本を見て、ひたすら走ったり願ったりしていれば、ある日、空が飛べるようになるかも、とか、そう言う妄想をするのが好きだったことだね。

 

絵本だったら、極々薄いシリーズ物を、100冊~300冊前後は、寝る前に読んでもらったり、自分で見たかも知れないけど。残念ながら聖書の話は、一切、皆無だったので!!!

 

小学生と言うと私は、都会のスピードについて行けずに、はや独り遊びを覚えようかと言うころで、人生最初のバイモードと言うか、親との確執前夜めいたものが生じ始めていたので(笑)、私はその時代の前後に初めて知った信仰のイメージを受入れることは、通常、冷静に考えて、あり得ませんね。これは(大爆笑)。

 

泥棒さんの心で生きていこうよ!って誘われている気分になるから、これは無理。本当に無理!!!

 

まぁ、神のイメージそのもの自体は、心的イメージにおいては、そんな悪いことはしちゃ駄目だぞ、的なものでしょうが、自分の中で、良心や善という心象に接近するのなら、その時代はスッパリ、みたいになるので。いや、思い出は忘れはしないけど。

 

最初から、雲の上になんか居ると思って育った奴は、本当に理解できないんですよ。

 

私はね。

 

まだ、許せない、と言ってくる人は、何なのか私は意味が分かりません。ちゃんと話さないので、こっちも興味が無いのです。主語ないし。

 

100均に行こうとすると現れるようです。

 

100均は赤の店か何かなんですかね?資本主義でそんなことになるのは、水爆で脅せば日本人なんて余裕と思っている奴らがいるからなのか?

 

アメリカ人も、白人が嫌いだからって、逆らってスペシャルになろうとする奴を認めると、中国人はこの先、その人口比から当然考えれるリスクから言っても交流できない。日本人のお前らにそんな交戦権はない、とでも言いたいのだろうかね?

 

だから黙ってて貰わないと困るというのなら、戦うしか無いので、死ぬのはもう恐れなくなって来ているとは既に書いた。

 

フェアトレードだの何だの言うのなら、お前ら精神科に追い込んだことをまず謝れよ!!!まずそこからだろう!!!俺はそれくらいその為に困窮したのだから!!!他のアジア人のことを考える余裕はまったく無い!!!)

 

いくらかでも良い思い出がある人は、死にたくないだろうが、私は心から誰かと交流したことが、数えるくらいしか無いので、そんなにここが良い世界だとも思っていない。まぁ、ご飯が食べれるから、うれしいね。それだけだ。なんか俺の性格を完全に誤解しているね。

 

キリスト教といわれると、泥棒マインドで牛のミルクでも飲んで、チョコ菓子でも喰う?みたいなノリにしかならないよ。

 

宗教だったら、本当に理解できないので、あんまり勧誘されても、意味不明なのは、本当に、本音です。これからも無いよ。いつまでも、分かんない、と言われても、本当に分からないので。7、8歳以降くらいでキリスト教を生まれて初めて知った感じだからね。もう、笑っちゃうアニメと同じレベルの深刻さしか感じないのが本音。頑張る子には見えるウルトラの星ってのがある、とかと同じレベル。

 

(もし入れと言うなら、伝統宗教以外あり得ないです。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の入れ子構造とその精神年齢にがっかり

近代合理主義の権化であるような直線的造型の建築(フンデルト・ワッサーが嫌った→※)。

 

有機的模様を描かない。

 

浮浪者のバラックも、直線的な小屋を建てるのがやっとだ。

 

資源が少ないからだろう。しかし、では私たちの近代以降の社会では?

 

おそらく、情報が制御されて必要以上足りないから直線的で、有機的模様を描かない。

 

ところで、人類は、遥か昔、文明の黎明期にオブジェクト指向になっていて、バグダッド電池やアンティオキアの歯車、そしてヘロンの自動ドアやローマの蒸気エンジンを製作するようにもなっていたのだろう。こうした文明では(まだまだ特権階級だけだったにせよ)、同一地平面上で叡智を追求すれば、すぐにもウロボロス賢人になったはずだ。

 

戦争ストレスで、リアル・ウロボロスが出現するのは、こうしたタイプの社会では、時間の問題だ。

 

ここにこれを管理する為にも、世界の入れ子構造が構想された。すなわち一神教である。世界の叡智は、すべて神のものとして、これを一人の人間からは永遠に切り離した。

 

ベビーベッドのガラガラを眺める乳幼児よろしく、永遠に父なる存在が天上にいる設定である。こうなると、世界はまだ依然として有機的ではあっただろうが、人々の精神構造はより異なる形で統御されたはずだ。

 

家庭の親子関係がその精神構造において拡大投影され、この宇宙を支配しているなどとは。何と安直な、しかし太平楽な発想だろうか?

 

ところが、現代の科学主義文明は、新たなウロボロス的な個人主義者を胚胎させる。そう言うメディアの振りまくバラ色の世界に踊らされてなのかも知れないが。

 

先にも述べたとおり、同一地平面上でのウロボロス的知性の追求は、リアル・ウロボロス、例えて言えば、ドラキュラ男爵や青髭男爵しか生まない。

 

そこで、盗聴や、送信元の得体が知れない音声送信攻撃、あるいは音響兵器による攻撃などが起こり得る。そう言う犯罪もまたその構造は、まさに入れ子構造であるからだ!!!

 

(もっと大きな親玉が圧力をかけるなどとは卑怯なり!いや、馬鹿馬鹿しくて開いた口がふさがらない!)

 

こうして、ウロボロス的パーソナリティを制御する構造の代表例として、世界の入れ子構造があるのだ!!!

 

人間をロボットにする。あるいは、ブレインジャックする。そこまで行かずとも、神経撹乱や、神経遮断薬によって能力制限をする。こう言う発想は、こうして一神教の内部体制の構造に対応して正当化されていると見るべきなのだ。

 

この世界の入れ子構造は、歴史上、近代合理主義的な直線的発想と結びついた時、特に、その周縁部との有機的発展の関係性を失って、突出的に、永遠の青年期のような勢いで、世界を侵略し始めた。

 

数多の反省がなされた前世紀後半には、もはやナチスのごとき愚行は二度とないと考えられて来た。それが普通で、人々は、まだ暢気だった。貧困地域でもなければ。

 

・・・そう思っていたのだが、それは私だけだったようだ。今日に至っても、一神教を認めよと言う圧力は、もしかすると、自民党そのものだ。カルト教団は、集団で主に聴覚攻撃を仕掛けてくる。好まざる人をウロボロスにして、ウロボロスだから殺していいと世間に吹聴する。法律などここには無い。恣意的に捻じ曲げられてしまう。お前が享受している生活は元々、ウロボロスを制御する発明である、家庭の仕組みと入れ子構造の支配体制、一神教文明だとの主張だ。

 

実質的なその精神的態度は、日本人ならすぐさま持てるものを放棄して投降せよ、と言うわけだ。

 

 

しかし、歴史的にも、国家が神の家であるのは、相撲の土俵の上のあれも同じこと。人類に共通の観念ですらあり得る。例えば、ある時代においては、元々は、護国仏教だった。国家とは、宗教そのものだった時代がある。人類ってのは、そう言う構造の元に集団を形成する生き物ってことでしか無いでしょう。もはや。(すると一神教は、国家よりも神が上であるのが特徴かも知れないが。)

 

やはり、こうなると、現行法を尊重して、送信元の得体が知れない音響兵器による攻撃は、幻聴と一括してでも無視すべきで、精神医療と戦うなら、これを解明して、米系カルトと抗争を始めるべきだ。

 

そうでなければ、これは体制末期の状態だとしか思えないくらい乗っ取られている。(音声送信や神経撹乱はそれぐらいしつこい。)

 

人間は神が造ったのだから国家の持ち物でないとするのは、純朴さに訴えたぶりっ子でしか無い。その成長期とインプリンティング、また母語の問題もあって、質料性の見地からも、その主張には限界がある。公平に分配される富と言うものは、もしかしたら、もともとの取り分より少なくなってしまう国々がたくさんありますよ。また、豊かな国に行ったからと言って、そこではロボット技術目白押しと言うのでは、いかんともし難いですね。冷静に勘案して人生設計を決めるべきだ。

 

(もちろん、私は、あなたの判断を捻じ曲げはしない。)

 

 

※アーティストこそはウロボロス賢人だから、あんまり人生の参考にはならないのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今更ながら単位換算の間違いなどについての訂正(俺に馬鹿言うお前が馬鹿と分からせる)

2015/11/15のブログで蜘蛛の糸を撮影したシャッター速度についての話題があります。

末尾に書き足した別の日付でね。

 

これは、1000*1000がマイクロ秒のスケールなので、1000*10くらいしか乗算していない感じで、桁数が間違っています。

 

2.5マイクロ秒、とか、5マイクロ秒、を話題にしているけど、本当は、250マイクロ秒とか、500マイクロ秒とかになるのかな?

 

某秘密クラブで、もしかしたら、カルト教団と思しきが、マイクロ秒は1万分の1と、しれっと間違ったことを喋った気がするので、それに従った、半分嫌味な冗談です。

 

ただ、秘密クラブだけに、法的に縛りがかかっている旨主張されてしていたので、黙っていたけどね。間違っているのだから、やっぱりそれくらいは書いてしまおうと言うことになりました。自分の中のランキングで。

 

今まで、障碍者!と言う野次がうるさかったのですが、まぁ、今まで一切、指摘してくれた人はいません。日本人なら、絶対に間違わないと言われるレベルの計算でも。

 

もちろん、2009年辺りには、日通などで配達のバイトをしたから、おつり計算は暗算でする能力はあるんだけどね。あの時はまったく間違っていなかったし。その後、2011年に入院して、また、大量投薬されたけど、単位換算は確かに普段やらないので、そう言う常態下では間違いやすいかな。そろそろ減薬はしていたのか断薬していたか、それでも、効果は残っていたか、どうせ間違ったって、そう言う1万分の1秒とか言ったような気がするもいるからいいや的な。

 

それで今まで建築現場作業員に内容を言わずに煽られるだけとか、なんて卑怯な社会かと思うね。

 

そうでなくば、障碍者!、って野次だけだとかね。

 

もう、好きじゃないね。東京は。あの肉のハナマサ似の激安スーパーの店員とか。

 

まぁ、もしかしたらですけど、自衛隊と米軍が組んでいるのなら、これはロボット学者で敵を全部釣り上げた可能性すら考慮しないとならない戦いなのだろうかね?元々は。

 

こうして朝日の周りは、私の敵だという結論が、2004年前後についていたのです。

 

さようなら。

(本当に精神医療は酷い!)

 

障碍者ではないんだと言う責任感はあります。

 

 

 

 

 

準備電位については今考えている所

人が、あるものを『幻想』だ、という時、それは単に『脳内処理』だ、と言っているのだと思えば、意外にアホに聴こえて、その人の議論は面白くなくなります。

 

脳内処理と言えば、それは現実と0.5秒くらいタイムラグがあって、交通事故の原因になるのが有名です。テレビで見たよ。これが近年、意志や行動に先立って0.5秒速く、まず起こることが実験で確認されたと騒いでいる。

 

まぁ、時空間的なタイムラグ。何かの本ではもっと格好良く呼んでいたけど。

 

 

これをまた外部から内部へと越えるものが、サブリミナル効果の瞬間映像じゃないかな?

 

サブリミナル画像は、認識のフィルターを超えて善悪の判断無しに知覚され、まるでカセット記憶かのように脳深部にしまい込まれます。どうもそんな感じ。そして、夜寝しなに、夢の中で展開されて、あれれ?こんな夢は俺かよ!見たいなことを起すのでしょう。ポルノなど意外に人格に深く浸透するみたいですね。

 

まぁ、かようにしてある種の時間分解能の明滅や、認識のフィルターを撹乱するコントラストなどは、例えば交通事故の原因として、セザンヌ絵画の平面性の秘密として、量子力学的に一本化して語れなくもないんだろうね。対応する事例の神経の組織化の束の比例があまりに大きさが違うのだけども(正反合くらいアバウト?)、どちらも同時存在と言うものにこちらが困惑するのが原因で起こっていそうだ。

 

立体のイリュージョンが格子模様的なコントラストで平面の張力を取り返すのなら、逆にこの運動と位置の定まらない確率分布のレベルにまで落とし込まれる様な時間分解能の世界は、格子模様のような明滅信号的な状態そのものに例えられて、世界がそもそも平面的な次元に圧縮されていて、そのホログラフィーを我々は見ているのだと言う類推は、ある意味、人類にとって必然。何度か考えるだろうね。

 

そう言うものを真面目に構築したのがホログラフィー宇宙論かもしれないが、至ってこれも2次元人の世界。良く考えると、まるでウロボロス絵描きだ。

 

色んなウロボロス賢人がいるが、あんまりに焦がれて、おたのみますから教えてください状態で長くいると、リアル・ウロボロスにされて追放されちゃうよ。

(既にセオリーを多少なりとも習ったのなら、少しは自分で考えたりしないと!)

 

東京のルールは、最初から自分で選びたがって強情を張ると追放されると言うものだ。

 

単純かも知れないが、成長期にわだかまりがあると、これが了承できない人も稀にいると思ってくれ。頼むから。(それではぶられているのだから、それでいいよ。)

 

さても、量子力学、そして共時性、こう言う脳内処理における現実とのプラズマ領域的な連環については、別働次元があるとしても良いのだろうかね?意志に先立つ何かなど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

業務日報的な、あるいは業務マニュアル的な、人類の生業をあえて辿る様に説明

心的システムはどちらかと言えばファーム・ウェアだし、神経系の上で上映されるホログラフィーなのかも知れない。

 

とすれば、クオリアと言うのも、赤の赤性についてオブジェクティブに指示できるか?と言う問題だと簡単に考えると、霊魂が死後もこの宇宙に残る可能性があると言うような量子脳理論的な路線での議論の一つは、単にそうしたホログラフィー世界がオブジェクティブに指示されて話題にされているようなことだろうと思う。

 

我々に自由意志があるか?と問われれば、人生が波乗りなら、ごくごく短い区切りでは、確かにサーファーは波と戦っているのだから、後で、その細切れの苦闘の記憶を再編集すれば、これは自由意志だろうね。

 

しかし、人生に疲れて、一度でも、波の方にフォーカスすれば、これは個人の意志など取るに足らないものに見えてしまうのかも知れない。こうなると自由意志の存在を信じられなくなるだろうか?

 

これは単に図と地の遊びに過ぎないじゃないか!!!

(あるいは、ホルモン分泌の仕業に過ぎない。ドーパミンセロトニンのシーソーだよ。)

 

私の以前のブログを思い出してもらえれば、波こそは循環の民主主義なので、これは、たくさんの予測不可能な出来事や、数多の科学理論に相当するのはお分かりでしょ?

 

だいたいが、私が若かった時代から、美術系もサラリーマン的になって来たと言われていた。脳の内で、性の中枢と怒りの中枢が隣り合って比較的小さな部位ともなれば、これは強い色彩や、特定の色彩パターンなどに自分をアイデンティファイしていれば、例えばそれが若者特有の世界だったとするならば、それこそ、シド&ナンシーのような人生で終了と言うこともあり得るでしょう。

 

自由意志が嫌われるのは分かるんですよ。

 

例えば、画面一つ、まったく均質な同じ色の絵画など、幼児の世界を通り越して、床オナニーかとさえ思う(笑)。良く見ると、刷毛目跡などあるから、あぁ、平面、平面、言うけれど、本当は平面じゃないというのも分からなくない。とある時は思った。

 

言って見れば、レリーフアルゴリズム、みたいなもので再編集できる。

アルゴリズムでは結果が見え透いていて、カオスですらない。もちろん遜りです。)

 

たった一つの理論などでは割り切れない掬い切れない何かはあるのだろうね。

 

まぁ、変形キャンバスとか、ヘンな形のコンバインされた作品は、むしろ、ドローイングの視点と、レリーフアルゴリズムみたいな可変抵抗器のカーブ仕様のごとき凸凹の類型化で進むのだろうかね?張りみたいなことについては。そう言うアナロジーがあってそうだ。確証はまったく無いけど。

 

まぁ、ぽつりぽつりネット上にあるのを見ていると。コンバインではすり合わせじゃないので、それ自体の存在意義や世界観が弱く、結合がナンセンスかも知れないけどね。

それでそんなことを思ったのだけど。

 

結局、その画面一枚一色の絵は、自由を追い求める夢追い人へのアイロニーだろうね。思いっきり禁欲的な色彩でありながら、宇宙論的には、ホログラフィー宇宙論やその他の素粒子論的でさえあり得るから。これは究極の幼児退行でありながら、数物理学的に高度な事象だ。そう言う精神状態の雛形であり投影だろうね。

 

でも、洞窟の原始人のように、自由に壁面に注意書きやその他、落書きでも並べるようにドローイングして行くような自由の満喫は、誰彼と許しているわけではない辺り、なかなか貴族的な価値については独占的に公開を留保してあるのだね。

 

かの上野のクロマニヨン人展は素晴らしかったが、私にはもはや絵など関係ないなぁ、と拗ねてしまったけど。

 

私は、幼少期など、また近年でも稀には、ごくごく短い総天然色の夢を見ますが、そんなに鮮やかでもないです。そして、同時に音も聴こえたりします。

 

夢がリアルで冷や汗をかく事もあまり無い。決死の覚悟をしてこれだけ乱痴気騒ぎしてヘンな怒りのブログを書いて、この程度、やっと夢を見始めた。

 

きっかけは、忘れたことを思い出すためです。何かしまった場所を忘れた時、立って探すのは非常に疲れてイライラする。そこでベッドに寝たまま、夢の中で探すことを始めたのですよ。意外にすぐ眠れない年齢なので、これが、一番、思い出すんだね。

 

しかし、ロボットにはなりたくないなぁ。はじめ人間でいたい。

 

私は腸が長めの日本人なのだから、どちらかと言えば、はじめ人間なのだ。

 

細胞レベルで医療プラズマなど研究しているこのご時勢は、脳細胞内の量子エンタングルメントも、その方向性で考えられる?

 

(私はどうも脳幹を何かで攻撃されていて、机に座ると眠くなるようだな。近日の幻聴では、幻聴は嘘ばかりと断っておくけど、某リーダーは留学したらそれこそ漢字奴隷をつくりそうな一部のアメリカ人のロボットにされたのが実際と囁いていました。無知蒙昧な私的にはユダヤ系だけが怖いのじゃないと言う意味だと思っています。)

 

こうウダウダ書いておりまして、まったく現実のどなたかにご迷惑をかけましたら、申し訳ありません。私は、アメリカ流儀の精神科における投薬治療とどこかのカルト教団などの集団的な野次の仕打ちか、暴力団などの秘密組織の関与を疑いたくなる医療事故などに手を焼いているので。タイミング制御がなかなかロボット的で、中国的です。アメリカ人の考えるような中国。

 

これを解明して、とっとと人生ゲーム上がりにしたいのです。

 

もし、山一つ、湾一つ、消して見せるというような壮大な科学実験でも、もしあれば、それはその時は、無駄なことは出来ないから責任を取って学者がロボットになってでもと言うことになるのかも知れないが、現実には、そんなこと個人ではやらないし、科学者こそは組織的でしょうし。責任は独りで負わないものだ。

 

やっぱりこの幻聴も、私を錯乱させる為の音声送信でしょうかね?対岸などからの。1db程度とは言え。毎度、夢身が悪いようなことかも知れない。

 

 

ネイティブでいると言う覚悟

時間と空間と物質の関係性が曖昧模糊とした幼児のパターン画の世界にまで逆行するかのごとき概念世界を構築できれば、ミクロとマクロが共存する、東大の電子博物館だったかのWEBの説明で見た、ウロボロスの蛇みたいな状態になるのだろう。

 

もう、こう言う人のトークは決して止まらないのだろうね。昔ラジヲでそのトークを聴いたモーリー・ロバートソンみたいに。

 

私の読みでは、誰かの警鐘のように創価学会自民党に接近してより統合失調症が増加していて、なおかつ『自我が無くなるのが統合失調症』などと真顔で発言する漫画が好評を博していたのなら、これは、その辺りの勢力が日本人を両義性の王国に閉じ込めて自我放棄を迫っている証拠である。

 

量子力学の知見と共に自由意志の存在を疑う近年の科学的な報告も、もし、軍事的なマイクロ波グリッドが先に構築されていて、統制側が音声送信など自由に出来るのなら、フレイ効果やプラズマ技術など駆使した神経撹乱こそが原因であると言う単純な読み筋も捨てたくない。

 

結局、ボディは一つなのだから、アクションする私は自由意志そのもので一つのストーリーある。

 

前野隆司の著書にある様な幼少期に夢見た本当の自分と言う存在は、我々の抽象思考の場を意味するのかも知れない。我かいわいや、で、抽象思考を続け、個人主義に訴えるのなら、労働刑に処す、と言うのが、もしかすると本当の共産圏の現実なのかも知れないのに。この学者は、強力な中国支持論者のようですね。

 

何かの本にあるように、統合失調症は別に自分の境界が見えなくなる病気ではない。もし見えないというのなら、それは私の症状ではないので、世間の統合失調症と私は異なると言うことになる。

 

神経的な疲労でバウンダリーが壊れるのは、何度も書いている通り、バウンダリー破壊とでも言うべき攻撃の一種で、医療犯罪である神経遮断薬の過剰投与と集団ストーカや集団での追跡による野次、また、音響兵器とあいまった長期の人格破壊の結果に過ぎないと感じる。

 

また、可聴帯域でも、それ以外の超音波や極超低周波の音声送信などでも、当人の意識がある無いにせよ、人間をロボット化する技術の入り口になるはずである。イケスの中で囲い込み、通常の子育てによる世代間伝達すらも無く、個人が最初から模索しなければならない未明の人類のような状態で、ごく多少の常識や社会通念の教育と共に社会集団の中に放り込まれ、現代文明の中に暮らすと、音声送信ですら、聞き逃せないバイモードでの情報、バックグラウンドでの共有知の受け渡しになり得る。これは苦しい地獄でもあるが、このような米系カルト?が存在する日本は、もはや私の本当の故郷ではない。

 

私は、何においても、早くこのテレパシー送信技術の解明に走らねばならない。

 

昨日、脳裏に送られてきた眠る間際の送信は、もし火球か何かの発する電波のように160ヘルツ相当の送信で電界を介して聴覚神経に直接音声を聴かせる事が可能なら、テレビの画像走査線の情報に相当するものを視覚神経の比較的先頭の段階に加工送信すれば、映像が送れる可能性があるそうである。(つまり、60ヘルツ程度の画像信号を160ヘルツ化したり、あるいは40ヘルツの神経ノイズに相当するクラスターを160ヘルツの包絡線で形成することにより、神経コード化できないだろうか?)幻聴と言うものは嘘ばかりなのは前にもお話したとおりだが、総務省だったかのPDFにも極超低周波電磁波で、視覚に明滅が起こる旨書いてあるのだから、両者は同じグルタミン酸神経だけに、それは一考の余地がある。

 

近年、高齢者の認知症などでレヴィー小体型と言う、患者が幽霊を見たり等、時に幻視するものがあるが、これも、映像送信したり出来る時代だから、もし医者かその周囲が犯罪集団だったら手のつけ様が無い。絶望的だが、我々は、もし、自然な死を遂げたいなら、敵と戦うか、保険医療を拒む、と言うオプションも検討すべき段階に来た。

 

もちろん、私は、この国では米系や欧州系のもたらした投薬治療を中心とする精神医療と徹底的に戦って死んでいく覚悟だ。

 

ジョン・サールに刺激を与えた元々の中国人民についての冗談のようなナショナル・ブレインの話、そして、単純なフィードバック回路に意志を認めるか?その回路が無数に同期すれば何が起こるのかの思考実験がもたらす、そのアイデアの本気度。トロンはもしかしらカルトかもしれないと本気で思う。

 

旅行時に見た、今考えると、まるでアジア人に自我意識など要らないとでも言いたげな、白人に逆らう有色人種は、全部、ロボットにしてやると言わんばかりの、ある種のアメリカ人や、イタリア人の憎悪。バラエティーの無い、非人格的な侮蔑のゼスチャーを繰り返す茶色い眼や髪の女性を中心とした村の人々。

 

(不自然な嘘笑いでもしていれば、ロボット!と罵るのだから、そんなことをした歴史が意識に上る奴らかも知れない。)

 

こちらの混血児が、白人風に整形し直して、あちらで洋航して来た日本人を現地の白人に成りすまして観察し、研究するのが常態化していそうなのが、米軍の駐留している国々だ。

 

私はそれに引っかかった可能性が高く、こちらで25年経っても酷い待遇だったのは、そう言う者達がNOを突きつけているから、カルト教団を中心とした東京の日本国籍の人間が全員なびいてしまうのだろう。

 

あの時、最初の2ヶ月で帰ってくれば、それは良い思い出だけで、私は、どの白人の派閥もすべてがネイティブの敵になり得るという強い自覚を持たずにずっと夢を追いかけて生きていられたかも知れない。

 

しかし、今や、自由意志を疑うすべての研究は、中国人の暴走を利用して、日本人をも奴隷化する計画の始まりだとすら疑いたくなるほどだ。やはり、量子力学の一部の話や、フラクタル宇宙論は、体制側の流布するアジア人の自我放棄のための呼び水的な仕込かも知れない。セカンド・シーズンのブログ、第2幕で疑って見せたように。

 

我々日本人は、全員、アジアを完全なロボット奴隷化、植民地化する新たな戦いの最中に居るのじゃないか?!

 

今一度、ハザール・マフィアやコミンテルンの話から考え直さないとならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人はアクロバット・ライター!

日経新聞に掲載された木島櫻谷の狐のパノラマについてまだ考えています。

 

これ絵の前に木彫の狐をさらに置いたらどうですか?

 

手前は春になった設定で、子狐の木彫がコロコロしていて、小さな竹の子が芽吹いて、アフロディテとか女神を象徴する具象彫刻か、賢い雌狐の木彫もさらにどーんと右手の月とかのはるか前に(爆笑)。

 

と、冗談みたいなことを考えていたら、床の間ってなにかなぁ?と分からなくなりました。

 

掛け軸と、香炉とか生け花を飾るんですね。また、盆栽のこともあると。しかし、そのオブジェとしての構成は、やはり仏壇の飾り方の影響も強いんでしょうねぇ。

 

それで、段々、気がついたのだけど、日本人ってのは、八百万の神々を認める感性なので、木々やその他、あらゆる気配に霊魂を感じてしまう傾向があって、それで、木島櫻谷のこの狐の絵は、あちこちに主題(霊魂)が分散しているようにも感じてしまい、日本画の分からない私は勝手に舞台芸術国立科学博物館の展示パネルかと勘違いしてしまうんでしょうかね?

 

そこにワビサビとか、あるのか、ないのか?

(おい、説明しろや!的な。絵描きに向かねぇ?)

 

これは言語認識がかなり事物の象徴的解釈に関係している証拠で、それを再認識したなぁ。しかし、象徴と言うシュールな文学的世界が嫌いな抽象性を好む美大生は多いんじゃないの。特に滴れたりぶっかけられそうなオールオーバーとか言う米系の現代美術を目指す人は。ドット疲れが出る平面性ですね(爆笑)。

 

ネットを探索していたら、以下についての紹介ブログを偶然見てしまい、勝手に書いてよいものか悩むが適当に進めると、

 

都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど

 

資生堂ギャラリー中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下1階)
「第2回 shiseido art egg 窪田美樹 DESHADOWED - かげとり」

1/11-2/3

 

このブログの写真の作品がコーナーに設置されているのだということについて、思案中なのだけど。

 

先ず第一に、絵画には、左が始まりで右が終わりというような、書字の方向にストーリーを重ねる西欧の古典的心理学的解釈があると言うこと。ところが、ひとたび、目を縦に移すと、日本語の縦書きになれ親しんでいる人には、右から左へ視線が飛ぶモードが反射的に働くのではないだろうか、と言うこと。

 

つまり、縦長のものを見ると、日本文化に慣れ親しんでいる人は、視線が横書きモードと縦書きモードの両方に分断される、と言う傾向が存在する可能性がある、と考え得る。

 

また、西欧の場合、縦長は、横書きのパラグラフの並びが縦行風に連なったもの、でもある。人物用キャンバスなど、縦長なのだから、不都合はないはずだが、問題は、日本人の場合、構成の感覚はどうなるのか、と言うことである。

 

日本人の縦長の場合、意外にも下から左回りを多用するのじゃないかと踏んでいるのだが、もしそうであるなら、このオブジェ風の作品が、どうしてコーナーに設置されたか、おぼろげながら見えてくるのである。つまり、両方に視線が分断されるのに対応して観音開きなのであろうかと言うこと。実際はまだ分かりません。働かない私はお金があんまり無いので視線を追跡するセンサーを購入していません(笑)。

 

 

まぁ、やっぱり、ほら。

 

言語認識がかなり影響するんだねぇ。

 

これも両義性の王国ならではの問題ですな。毎度、ガラパゴス事情でございます。漢字奴隷と言うか(泣)。

 

(まぁ、絵なんてもう興味は無いのだけどさぁ。絵テロ・セクシャルだけに。)

 

 

※言葉の区切りと絵の中の形の区切りが重なると、象徴的過ぎるのでしょうね。シルエット的でポツリポツリと存在する木だとか。だから、まったく異種のものが、陰や影などを通して一体化して、いわく言い難き形象の内に、平面上では半ば透過層的にか、事態を共有し、その様な拡がりとして、つまり物質と空間とが不可分な、具象的あるいは言語的な因果律の崩れた異次元を創出したいわけだ。画家などは。また、時間の流れとしても、描きどころ見せどころの推移だとか、その他にも何かあって、ドローイング的な流れがあるとしても、それが空間作りにまったく関与しないのなら、単なる図案だし、それはそれで図案的でも凄いのはあると思うけど、色面(しきめん)と言うものを知った現代人と知らない近代人では、相当に方法論が違うのかな?私は別にそう言う方面に明るいわけでもなく、人物デッサンのバルールの説明などから推察して勝手に解釈して遊んで見ている程度の日曜なんとかに過ぎないですが。まぁ、そう言うのが造形的言語とでも言うのか、言葉にこだわる奴を画家が強力に排除する理由の一つでしょうね。自分も漢字奴隷の癖に!22:25

 

 ※屁テロなつっぱりはイランてことかよゆで卵(古)。

 追記:あぁ、ゆで卵は巨匠なのに失礼でした(笑)。